ウィッチャーを産んだデベロッパー CD Projekt REDとは!? 第2回【販売代理店からの転換】
あいさつ
どうも、TRYDERです。
この記事は前回の続きです。そちらの方から読むのをオススメします。
私事
少し私事を……
記事を書くにあたって、これほど勉強をしてこなかったことや、英語の出来る友達のいなさを嘆いたことはありません。
特にスラングなんかどう訳していいか分からなかったり……
熟語なのか気づかなかったり……
翻訳って辛くね?
そもそもウィッチャーが楽しいから記事を書こうと思ったのに、今や翻訳のせいで記事書いてるほうが長いんだよなあ……本末転倒だぁ~
おっと文句を言ってはいけません。お目汚し失礼いたしました。
CD projektイズムは素晴らしい物に付加価値を付けること。
それに習って、素晴らしいゲーム会社であるCD projektという名を広めるために僕が日本語で紹介してさらにCD projektに付加価値を付けるんだ(使命感)
最近ではこのようなツイートが話題になっていましたよね。
ゲーム翻訳がひどいと思ったからゲーム翻訳の世界に入ったけど、ひどい理由がわかった。誰が誰と話してるんだかわからない状態で訳さざるを得ないから、想像で訳すしかないんだよ(涙)。
— kushamint (@kushamint) 2016年6月30日
これからはローカライズされたゲームを文句言わずにありがたく遊ぶことを固く誓いたいと思います。
※引き続き注意点――私の英語能力はガバガバなので、翻訳上のミスがあるかもしれません。google翻訳から滑らかなニュアンスになるよう原文と照らしあわせながら調整しましたが、後でソースも掲載しますので間違えがありましたら指摘していただけると幸いです。
始まります。
主要登場人物
- マルチン・イヴィンスキ―CD Projektの創設者
- ミハル・キチンスキ―CD Projektの創設者。セバスチャンが去った後のThe Witcher開発を主導。
- アンジェイ・サプコウスキ―The Witcherの原作者
- アダム・バドウスキ―CD Projektのストーリーボードアーティスト、現CD Projekt REDトップ。3日同じ服を着て臭い奴
- セバスチャン・ジェリンスキー―The Witcherのデモ制作を担当していたプログラマ。後に退社する。
0.前置き
日本のゲームファンにウィッチャーシリーズが広まったのは3作目のワイルドハントからだと思いますが、海外では既に2作目の時点で相当な注目度がありました。
そのため、
とCD Projekt REDマーケティングスペシャリストのアガニェシュカ・ショスタックさんは述べています。
それを象徴するエピソードとして、ポーランドのトゥスク大統領がオバマ大統領へThe Witcher 2:Assassins of Kingsを送ったことが有名ですね。
残念ながらオバマ大統領は
「実を言うと、私はゲームはまったく得意ではないのですが……」
という発言から分かるようにプレイしていないようです……
そんなウィッチャーシリーズはどのような開発経緯があったのでしょうか?
順に見ていきましょう。
1.CD Projekt REDの立ち上げ
バルダーズ・ゲートの成功は、彼らが単に楽しかったがためにがむしゃらに頑張った結果だったが、それも飽きが近づいていた。
ポーランドでの開拓者的役割の興奮も新しいチェーン店やパブリッシャーが作られてから冷めていった。
マルチンは皆にこう尋ねた。
「私たちは本当にただの販売代理店になりたいのか?」
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バルダーズ・ゲート:ダークアライアンスのPC版制作と頓挫
そんな彼らを一押ししたのはゲーム業界の有名人であるFeargus Urquhart (ファーガス・アーカート)*1とDavid Perry(デイビッド・ペリー)*2らだ。
Interplay社員であった当時の二人はCD Projektにコンソール向けゲームのバルダーズ・ゲート:ダークアライアンスを取り扱って欲しかった。しかし、ポーランドではPCゲームでしか遊ばれておらずそれは売れないだろうと見込んでいた。
そこでInterplayはCD ProjektにPC版を作らないかと持ちかけ、CD Projektの返答は当然“YES”だった。
CD Projektがこのプロジェクトを主導出来るだろうと白羽の矢を立てたのは、Sebastian Zieliński(セバスチャン・ジェリンスキー)だ。彼はMortyr 2093-1944というウルフェンシュタインをパクったようなゲームを制作し、ポーランドでは人気があった。*3
その後、二人目の社員であるAdam Badowski(アダム・バドウスキ)という非常に優秀なストーリーボードアーティストを雇い、今日ではアダムがCD Projekt REDのトップを担っている。
プロジェクトを進めるべくロンドンからPS2の開発キットを受け取り、準備を進めていたが一本の電話が鳴る。それはInterplayが倒産したという連絡だった。しかし、ゲームを作りたいという衝動は抑えられなかった。
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CD Projekt REDの立ち上げと挫折
バルダーズ・ゲート:ダークアライアンスのPC版を制作する過程で生まれたコードで何が出来るか、何を作るかの議論が始まった。
その作品リストの一番上に、ポーランドのトールキン*4とも呼ばれるAndrzej Sapkowski(アンジェイ・サプコウスキ)が書いた魔法剣士ゲラルト(The Witcherの原作)の名があった。
アンジェイ・サプコウスキの物語は王道ファンタジーとは異なり「破壊」に重きを置いていた。このことから既存のゲームとは異なる新たな作品が生まれるのではないかと思ったのだ。
マルチンはサプコウスキの威厳からゲーム化の権利にサインをするとは思えなかった。
しかし、メトロポリスソフトウェアが計画していた魔法剣士ゲラルトのゲーム化が頓挫したことを聞きつけたマルチンは、必死の売り込みで権利を獲得し、いよいよゲーム開発の道を歩み始める。
最初にすべきことはスタジオを作ることだった。セバスチャンのチームはCD Projekt REDとなり、ワルシャワにあるCD Projekt本社から120km南に離れたŁódź(ウッチ)という街に作られた。
この地理的要因からマルチンとミハルは通うことが出来なかった。
▲Łódźの町並み( )
REDという名前を付けた理由をアダム・バドウスキはファミ通のインタビューでこう述べている。
Łódźはイギリスの工業地帯、マンチェスターのように赤い建物がたくさんあるんです。そこからREDの名前を付けました。
また非公式にCD projektがBLUEと呼ばれている。
今思えば、出来上がったデモはまるでガラクタのような作品であった。それでも最も高価で高性能なノートパソコンを買って、ヨーロッパ中のパブリッシャーに見せてまわった。
その二週間後、イギリスから2通のメールが届いた。
「良い出来ではない」
という内容であった。
彼らはひどく打ちひしがれ、本国へ帰った。
2.ウィッチャー開発に向けて
セバスチャンはウィッチャーのデモを作り続けていた。ある日、セバスチャンにŁódźのスタジオを閉鎖してワルシャワへ移ることを告げると、「OK、私はそれに興味が無い」と言って社を去った。
その後はミハルが開発を引き継いだ。マルチンがBioware社の設立者たちと仲が良かったことも手伝い、Bioware社からオーロラエンジン*5の支援をとりつけた。
更に、デモの出来が良いものであれば、E3でのBioware社出展スペースの一部を提供することを約束してくれた。
当初、The Witcherを作るために15人ほど必要だと予測していたが、開発期間である5年間で150人にまでふくれ上がり、そのコストは前例の無い約2000万ズウォティ(約5.4億円)かかったとマルチンは述べている。しかもそのお金は会社の持つ資金の全てであった。
しかし、開発チームを作るにあたってポーランドに人材が全くいなかった。国際的に魅力のある強みがあるわけでもなく、海外からの人員補充も見込めない。
その代わり、ゲームへの情熱を持つ人々が新しい試みを行うことが出来る環境に転換し、彼らは仕事を通して学んでいった。
チームはウィッチャーをバルダーズ・ゲートのような大作のように構築しようと試みたが、手に負えなくなり、結局2、3パートに区切ったがそれでもゲームプレイ時間は100時間を超えていた。
このことについてユーロゲーマーのインタビュアーが「もし一つにしていた場合、スカイリムより大作になった?」と聞くと、マルチンは笑いながら「無いね、倒産していただろう」と言ったという。
やがて、アタリがパブリッシャーとして名乗りを上げた。その後は毎日12時間、週末まで働き、特にアダム・バドウスキは机の下で寝て、3日間同じ服を着ており非常に臭かったとキャラクターデザインのPaweł Mielniczuk(パヴェル・ミエニトゥク)は笑って当時を振り返る。
ゲームはしっちゃかめっちゃかな状態であったが、最後の最後でそれが一つにはまった。彼らのチームは、散り散りの状態でゲームが作れるなんて思いもしていなかった。
しかし、何もないところからCD Projekt REDは始動し、ついに2007年の秋にThe Witcherをリリースできたのだ。
また、The Witcherがリリースされるまで5年を要した理由としてマルチンはこうも述べている。
私たちは生産管理を行い、スタジオを効率的に運営させられるまでに約2年を費やした。
第3回へ続く…
【次回はウィッチャー3開発までの経緯を紹介する予定】
【The Witcher: Rise of the White Wolfのゴタゴタについての紹介へ変更しました】
ソース
ポーランド訪問中のオバマ大統領がダークファンタジーRPG『The Witcher』にコメント | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
電撃 - Xbox 360版はオリジナルのPC版よりも洗練された決定版! 『ウィッチャー2』プDave Perryレゼンレポート
The wild road to The Witcher 3 | Develop
How the team behind The Witcher conquered Poland | Polygon
Seeing Red: The story of CD Projekt • Eurogamer.net
『ウィッチャー3 ワイルドハント』スタジオ・ヘッドにインタビュー、CD Projekt REDが贈る次回作はどうなる? - ファミ通.com
4Gamer.net ― ポーランド生まれのシングルRPG,「Witcher」の日本語化MODがメーカー公認へ
『ウィッチャー3』を日本に届けた男が今語るローカライズ理念―スパイク・チュンソフト本間覚氏インタビュー | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
上記の中で一番詳しかったのがEurogamerの記事。これをベースに他サイトを参考にしながらまとめていきました。
凄く貴重なお話が、詳細に載っていますので是非Eurogamerの記事はご覧になってみてください。今の時代は拡張機能等で全文を機械翻訳出来ますので、気軽に読むことが出来ますよ。
※もしも誤訳があればお教え下さい。修正致します。
*1:ファーガス・アーカート―当時はInterplayブラックアイルスタジオのリーダーで、後にObsidianエンターテインメントを立ち上げる。ブラックアイルスタジオはfalloutなどの開発で有名であり、Interpreyが財政難で倒産した後チームメンバーのほとんどがobsidianへと移った。
*2:デイビッド・ペリー―プログラマーとして各スタジオを転々とした後、Gaikaiを設立。2012年にソニーによって3億8000万ドルで買収され、Gaikaiの持っていたストリーミング技術はPS4のシェア機能やリモートプレイ、Playstation NOWなどに活用された。クラウドサービスの最先端企業であった。
*3:ウルフェンシュタインをパクったようなという表現は原文にあります(笑)決して主観ではありません。
*4:J・R・Rトールキン―文献学者であり、指輪物語の作者。RPGやファンタジーなどに見られる中世のような世界観を確立した始祖とも評される。
*5:オーロラエンジン―Bioware社が開発したゲームエンジン。フル3Dでリアルタイムの照明や影の描写が得意。オーロラツールセットと呼ばれる、ユーザーがオリジナルでデジタルモデルを作れるキットを配布したことで、1,000ものファンメイドのModが作られ、コミュニティで絶大な人気を誇った。