アサシンクリードエツィオコレクションを楽しむためのフィレンツェ歴史解説
どうも、TRYDERです。
2月23日、PS4用ソフトのアサシンクリードエツィオコレクションが発売されました。アサシンクリード2に登場する主人公・エツィオを描いた三部作(アサシンクリード2/アサシンクリードブラザーフッド/アサシンクリードリベレーションズ)がリマスター化され一つになったものです。
この記事ではアサシンクリードとは何ぞや?から始まり、クッソ長い歴史ウンチクにお付き合い頂き、アサシンクリードエツィオコレクションをより楽しむためのにわか知識を学んでいこうという内容になっています。
そうです。実はイタリア旅行はアサシンクリードエツィオコレクションを楽しむための下見だったんだよ!(大嘘)
アサシンクリードシリーズとは
アサシンクリードの1作目は欧米では2007年末に発売されたPS3/Xbox360/PC用ソフト。タイトル通り、暗殺に重きを置いており、アサシン教団とテンプル騎士団の対立を描いたストーリーラインになっています。
当時の景色や風俗を再現しているのと、屋根や壁を自由に動き回るパルクールアクションが人気となり、リリースしてから歴史が浅いにもかかわらずスピンオフ含めて19作も作られています。映画も3月3日に公開するので観てください(媚を売る)。
特にアサシンクリードの凄さを実感したのが今回のイタリア旅行なのですが、2の舞台となった街やスポットを意識的に見ると、縮尺こそ違えどサンタ・マリア・デル・フィオーレなどのシンボリックな建物は本物とほぼ違わないモデリング。しかもデータベースで歴史も学べちゃうのでこれは一種の観光ソフトですね。
https://www.firenzealbergo.it/JP/places_to_go/monuments-buildings/Palazzo_Pitti.aspxより転載
▲ピッティ宮
Basilica di San Marco, view from St. Mark's Campanileより転載
▲サン・マルコ寺院(大聖堂)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Torre_dell'orologio_(Venezia).jpgより転載
▲サン・マルコ広場 時計塔
サン・ジミニャーノ歴史地区|イタリア 世界遺産|阪急交通社より転載
個人的には歴史オタク向けタイトルだと思うのですが、そのニッチそうなテーマの割に売れているのはやはりアクションとキャラクターの格好良さでしょうね。
もっとも、自分の場合、続編が多すぎてタイムラインを追えなくなり、リタイアした組なのですが、今回久々に復帰。改めてアサシンクリードの面白さを味わいました。
アサシンクリード2プレイ経験者でも、リマスター化されて本当にモデリングがきれいになっているので購入をオススメします。特に下画像を見れば分かると思います。モザイク画が綺麗すぎるッ……!!
アサシンクリード1(※便宜的に命名)のストーリー
(※前作のネタバレを含むため該当部分は白文字加工しています)
まず、アサシンクリードには現代編と記憶編があります。デズモンド・マイルズという現代のバーテンダーは実はアサシンの子孫であり、何らかの思惑を持ったアブスターゴ社に拉致されDNAの記憶を辿る装置、アニムスで過去を追体験するという構成です。
アサシンクリード1の世界は12世紀十字軍の時代で、十字軍は聖地エルサレムの奪還を試みていました。十字軍(ヨーロッパ)とサラセン(イスラム陣営)が争う混迷の時代に平和をもたらすため、シリアのマシャフに本部を置くアサシン教団は両陣営の暗殺を試みます。
以下、ネタバレ↓
その刺客に選ばれるのがマスターアサシン・アルタイルなのですが、暗殺を行っていくうちにバラバラのはずの標的が一つの意思に従っていることを見出しました。
実は彼らは「エデンの果実」という人を支配する力を持つ超常的なアーティファクトを利用して世界支配を試みるテンプル騎士団の一員だったのです。
何故、アルタイルの導師(師匠)であるアル=ムアリムは彼らを殺すよう命じたのか。それはアル=ムアリム自身がテンプル騎士団の一員であり、エデンの果実の魅惑に取り憑かれたアル=ムアリムは、エデンの果実の存在を知る者を一掃しその力を独占しようとしたためでした。
アルタイルはアル=ムアリムを殺害し、エデンの果実を手中に収め、新たに指導者の座に就きます。エデンの果実を巡る組織内の衝突を処理しながら、アサシン教団を世界規模に浸透させていきました。
記憶から目覚めたデズモンドはアブスターゴ社はテンプル騎士団であるという事実を知り、アサシンの記憶を辿り「エデンの果実」の場所を探るのが目的だということに気づきます。また、現代においても騎士団とアサシンの戦いは続いていることやアサシン側が押されていることを知り、エンディングを迎えます。
アサシンクリードエツィオコレクションの舞台
エツィオ三部作の1作目であるアサシンクリード2の世界は15世紀ルネサンスのイタリア。花の都フィレンツェ、水の都ヴェネツィア、フォルリ、トスカーナ、ヴァチカンがプレイマップになります。
▲アサシンクリード2の舞台(Assassin's Creed 2 - アサシン クリードII | アサシンで学ぶルネサンス | Ubisoft)より転載
2作目のアサシンクリードブラザーフッドは引き続きアサシンクリード2クリア後のエツィオがローマを駆け抜けます。
エツィオ三部作の完結となる3作目、アサシンクリードリベレーションズの舞台はオスマン帝国の首都コンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)。
アサシンクリード2の時代【フィレンツェ編】
(青文字は年代間の変化を説明、緑文字はゲーム中に登場する人物、赤文字は最重要ワードです)
・都市国家成立までの前史
さて、今回紹介するアサシンクリード2の時代は15世紀のルネサンス期。ストーリーが進むごとに様々な街へ繰り出すわけですが、どの街でも様子はまるで異なり、街の統治者の意向が強く反映された統治体制であることに気づくはずです。それはイタリアに代表される都市国家(コムーネ)という仕組みによるものでした。
何故、こういう体制に至ったのか前史として軽く触れましょう。
【年表】
395年、テオドシウス1世が死にローマ帝国は東西に別れる
▲オレンジ:西ローマ帝国、紫:東ローマ帝国(The Fall of the Roman Empire - My Electronic Portfolio)より転載
476年、西ローマ帝国滅ぶ
↓・空白となった帝国を巡ってなんやかんやで争いが絶えない土地になる
751年、ランゴバルド王国にローマが攻撃される。ローマ・カトリック教皇は東ローマ帝国に助けを求めるが、当時の東ローマ帝国はアラブとの戦いで手一杯。そこで駆けつけたのが496年ローマ・カトリックに改宗していたフランク王国。
↓・ランゴバルド王国を撃退。教皇も王様もお互いの後ろ盾を得てwin-win
756年、フランク王国の王様ピピンがローマ周辺をローマ・カトリック教皇に寄進(献上)する。ローマ・カトリック教皇が東ローマ帝国の庇護下から脱し、政治的権力を持ち始める
▲山川出版社 詳説世界史 p.185より転載
800年、フランク王国のカールという凄い王様が西ヨーロッパ一帯を治め、教皇から戴冠(皇帝に任命)される
814年、カール大帝死ぬ
↓・フランク王国弱体化。ドイツ・フランス・イタリアに分割
962年、イタリアに攻撃されていた教皇をドイツの王様オットー1世が助けて教皇に戴冠される。当時の人々はキリスト教をめちゃくちゃ信じていたので、教会の威信を使ってドイツ・イタリアにまで支配が及ぶ。これを神聖ローマ帝国と呼ぶ。
▲赤が教皇領含む神聖ローマ帝国の範囲。神聖ローマ帝国の左がフランス、ハイヒールのような半島がイタリア、残りの赤がドイツ(Holy Roman Empire Ruled for Nearly 900 Years | Exploring the UK, Europe and Russia)より転載
↓・神聖ローマ帝国は教会の威信を利用して寄り合い所帯を形成しているに過ぎないので教皇が調子に乗り始めて皇帝を破門してみた結果、皇帝が雪の中三日三晩許しを請いに来て教皇爆笑(カノッサの屈辱)。哀れなので許してやったが、今度は権威を取り戻した皇帝が軍を引き連れて教皇を殺しに来た。以降、皇帝と教皇の権力争いが続く
10世紀以降、神聖ローマ帝国の支配が弱いイタリアは、各都市が皇帝派と教皇派に別れ、争いが絶えない土地になる
1115年、マティルデ・ディ・カノッサ(カノッサの屈辱の舞台、カノッサ城主)トスカーナ女伯死ぬ。跡継ぎを残さず死んだため、トスカーナ一帯は民衆らによって自治都市が築かれる。教皇や領主の権力から独立したフィレンツェ共和国が誕生する。このような都市国家はイタリアのみに見られる特徴である。
▲赤がトスカーナ州(トスカーナ州 - Wikipedia)より転載
・メディチ家の台頭
ルネサンスとはフランス語で「再生」「復活」を意味します。当時、ペストによる大量死・十字軍の失敗や教会の世俗化による教皇の権威失墜などによって、世界の終わりが近いと民衆は考えており、古き良き時代を思い返す運動が盛んになりました。
※十字軍とはイスラム世界のファーティマ朝に奪われた聖地エルサレム(イスラム教・ユダヤ教・キリスト教にとっての聖地)を奪い返そうと国の垣根を超えて組織された軍隊のこと。
この運動の立役者がフィレンツェのシニョーリア(指導者)ロレンツォ・デ・メディチです。アサシンクリード2でも登場しますね。彼のメディチ家は銀行家でしたが、何故、フィレンツェを収めるまで至ったのでしょうか。
【年表】
1115年、フィレンツェ共和国誕生
↓・フィレンツェ、毛織物業でめちゃくちゃ儲かる。その利益を国王や諸侯に貸付け、銀行業が発展。劇中でも登場するフローリン金貨は1252年に発行され、ヨーロッパの主要通貨となる。
1397年、銀行家ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチはローマの銀行の一つをフィレンツェに移す。 メディチ銀行の創設である。
↓・以降、ローマ・カトリック教会の権力闘争にも参加し、ローマ教皇庁会計院財務管理者になる。教皇庁の後ろ盾のもとで莫大な利益を得、メディチ家の名声を高める
1429年、ジョヴァンニの死に伴い、コジモ・デ・メディチが家督を継ぐ。
1433年、政敵によりコジモ追放
1434年、コジモ、亡命先より帰還。政敵を排し、フィレンツェの政治基盤を盤石にする。間接的にフィレンツェを支配することに努めると同時に事業発展にも努めた。
↓・コジモの生活は簡素であったが、学芸発展には惜しみなく財を投じた。熱心な芸術家のパトロン(支援者)であり、フィレンツェで芸術が花開く一助となる
1464年、コジモの死に伴い、ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチが後を継ぐ。
↓・ピエロもコジモ同様に熱心なパトロンであった
<アサシンクリード2本編の時代へ突入>
1469年、病弱だったピエロ死去。ロレンツォ・デ・メディチ、20歳で家督を継ぐ。メディチ家は要職を独占していたのでその後ろ盾でフィレンツェの長となる。
・フィレンツェとメディチ家の最盛期、ロレンツォの時代
ロレンツォはメディチ家の中で最も優れた手腕の持ち主で、巧みに諸外国に相対してきました。フィレンツェを最も反映させた功績からロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なロレンツォ)という愛称で呼ばれます。
彼自身、詩人であったため熱心なパトロン(支援者)として芸術家を見出し、建築・彫刻・絵画などを花開かせたことで、文字通りフィレンツェ(花の都の意)という街の名前に相応しい文化の中心地となったのです。フィレンツェから芸術家が各地に飛んだり、この頃発明された活版印刷技術によって各地に芸術の種が蒔かれていきました。
【年表】
▲ゲーム内のロレンツォ
ヴェロッキオ作「ロレンツォ・デ・メディチ像」
↓・非凡な才覚を発揮し、コジモの築いた政治基盤を更に堅固なものに。また、ロレンツォ自身、詩人であり熱心な芸術家のパトロンとなりルネサンスの最盛期を迎える。
1473年、教皇シクストゥス4世はパッツィ銀行より得た資金で都市イーモラを購入する。
〈補足〉ロレンツォとフランチェスコ・デ・パッツィは教皇を援助しない約束をしていたがパッツィがこれを破った形。この報酬として、パッツィ銀行は以前までメディチ家が勤めていた教皇庁会計院の財務管理を任される。
ロレンツォは当初、この要衝を自ら獲得し、ロマーニャ地方への影響を強めようと画策していたことから、反教皇・反パッツィの姿勢を強める。1477年の書簡では教皇庁が腐敗しており誰も信用できないことにも言及している。
1473年-1478年、ロレンツォは教皇軍の傭兵隊長に教皇軍を抜けるよう工作したり、ピサ大司教着任を3年間妨害するなど、数々の教皇対抗策を行い教皇との関係は深刻な悪化を遂げる。
1478年、ゲーム内で描かれるパッツィ家の陰謀発生。
〈補足〉
ここに至って、教皇シクストゥス4世はパッツィ家の陰謀に加担し、ロレンツォの暗殺を図る。結果は弟のジュリアーノが亡くなりロレンツォは辛うじて逃れた。
暗殺と並行し、ピサ大司教フランチェスコ・サルヴィアーティは数十人の兵を率いて庁舎であるヴェッキオ宮の占拠を図るも失敗。外のシニョーリア広場ではヤコポ・デ・パッツィが自由を叫び、市民の扇動を試みるが、逆に民衆はジュリアーノの死に激昂しパッツィ家の陰謀は失敗に終わった。
▲民衆を煽るヤコポ
ロレンツォは容赦なく実行犯やパッツィ家一族を探し出し、ヴェッキオ宮やバルジェッロ宮の窓から縛り首刑に処した。この様子をあのレオナルド・ダ・ヴィンチも描いている。
▲レオナルド・ダ・ヴィンチ作「ベルナルド・バンディーニの処刑」
同・1478年頃、メディチ銀行財政難。ロレンツォの失策によるものではなく、当時の情勢が影響。
1479年、ピサ大司教フランチェスコ・サルヴィアーティの処刑に伴い、教皇はフィレンツェを破門。教皇庁・ナポリ王国とフィレンツェの間でパッツィ戦争が勃発。
1480年、ロレンツォ、単身ナポリへ乗り込む。その勇敢な行動にナポリ王は感心。和平が実現したことで、市民から一層の支持を得て権力を盤石なものとする。
↓・以降はコジモの勢力均衡外交を踏襲し、平和の維持に努める。
1492年、ロレンツォ、老衰で死ぬ
・サヴォナローラの登場
アサシンクリード2でも登場するサヴォナローラは厳格な修道士でした。厳格が故に彼の最初の説教が終わる頃には聴衆が20人に満たず落ち込んだといいます。時の運に恵まれ、指導者にのし上がったサヴォナローラですが、花の都の住民には厳格なキリスト教の暮らしは合わなかったようです。
最後は、厳格さからかけ離れた教皇アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)に破門され、怒れる民衆に殺されてしまいます。
▲ゲーム内で大物臭を漂わせているこいつがロドリゴ・ボルジア(後のアレクサンデル6世)
【年表】
1489年、ロレンツォ、お抱え学者の勧めで、厳格な修道会で知られるドミニコ会出身のサヴォナローラをサン・マルコ修道院に呼ぶ。
1491年、サヴォナローラ、ロレンツォを暴君と批判。ロレンツォは別の説教師にサヴォナローラを批判させるが、逆にサヴォナローラの反論の方が聴衆を納得させる。仲間の修道士にも認められ、サン・マルコ修道院長に就任。
1492年、ロレンツォの死。
同・1492年、サヴォナローラ、教皇アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)の即位を自分の預言していた神の教会再編であると主張。また、彼方より王が神の使いとしてイタリア諸国を襲うとも預言。
1494年、フランス軍がフィレンツェを侵攻。サヴォナローラの預言通りと信じた聴衆がサンタ・マリア・デル・フィオーレに収まりきらないほど集まる。
同・1494年、ロレンツォの息子、ピエロはフランス軍の要求を全て飲んでしまったため反メディチが高まり、フィレンツェから追放される。フランス軍はナポリへ向かったが、市民はサヴォナローラの神の業と信じ、支持を集める。
▲ゲーム内でピエロについてぼやく市民
1497年、サヴォナローラ、「虚栄の焼却」を実施。美術品、化粧品、服などの嗜好品を焼却
▲ゲーム内における虚栄の焼却の様子
〈補足〉
ゲーム内では空気がくすみ、チリが舞っているように見えるが、これは虚栄の焼却によるもの。街を歩いていると美術品を実際に燃やしているような描写がなされている。
1498年、教皇アレクサンデル6世を批判したサヴォナローラが破門される。禁欲的な暮らしに不満を持っていた民衆が押し寄せ、サヴォナローラは異端の罪で火刑に処される。
・マキャヴェリによる混乱の収拾と、メディチ家の終焉
アサシンクリード2でも登場するマキャヴェリはフィレンツェの外交官でした。マキャヴェリの記した「君主論」は死後、各国の王たちの必読書となりマキャヴェリズムという言葉でも広く認知されます。
▲ゲーム内のニッコロ・マキャヴェリ
▲サンティ・ディ・ティート作 マキャヴェリ肖像画(Niccolò Machiavelli - Wikipedia)より転載
1498年、サヴォナローラの処刑後、新体制へ移行。
1498年、ニッコロ・マキャヴェリは内政・軍務を担う第2書記局長に選出。その他、要職を多数歴任。
↓・教皇領の拡大を目指すチェーザレ・ボルジア(ロドリゴ・ボルジアの息子)は各地を攻略する。フランスやスペインの手も迫る中でマキャヴェリはどの陣営にも与しないよう巧みな外交手腕を振るう。
1503年、教皇アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)死去。チェーザレも後ろ盾を失い急速に没落し、1506年戦死。
1512年、メディチ家復権を目論む教皇軍がフィレンツェへ侵攻。マキャヴェリの市民軍は呆気なく敗北。
〈補足〉
フィレンツェを追放されたロレンツォの息子、ピエロは1503年に溺死。これによりメディチ家の当主は弟のジョヴァンニ枢機卿(枢機卿:教皇の補佐)に移っていた。
教皇ユリウス2世はアレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)のライバルであり、アレクサンデル6世の没後、教皇領への影響力を持つボルジア勢力を弱体化させ、教皇領にとって脅威になりそうな都市へ侵攻した。
ジョヴァンニ枢機卿もユリウス2世の陣営として、フィレンツェ支配に復帰し、後にレオ10世と呼ばれる教皇になる。
1527年、メディチ家が再び追放され、マキャヴェリも一緒に追放。同年、マキャヴェリ病死。
〈補足〉
ジョヴァンニの従兄弟が教皇になり、フランスと同盟を組んだことで神聖ローマ帝国の侵攻を招きローマ略奪を招きメディチ家もその責任を追求され追放
↓・和解
1530年、正式にメディチ家が支配者となりフィレンツェ公国へ。
↓・領地広がり、トスカーナ大公国へ
終わりに
すごく久しぶりの更新ですね。文字数が多くなって申し訳ないです。
とりあえずアサシンクリードエツィオコレクションに深く関わるフィレンツェ関連の歴史を纏めてみましたが、自分の興味または反応次第でヴェネツィアやフォルリや用語解説を追加するかもしれません。歴史に明るくないので、分かるように纏めるのが予想以上に大変で(笑)
記事内にはボルジア家に関して書けませんでしたが、「ボルジア家―愛と欲望の教皇一族」という海外ドラマがありまして、これが凄くオススメです。もうひたすら、愛と欲望です。残酷で肉欲に塗れた一族が、あろうことか教皇になり、破門まで行うのですからマルティン・ルターも宗教改革したくなるわけですね。
なのに、マキャヴェリはチェーザレ・ボルジアを理想の指導者と指摘しているわけですから、「お前正気か」と言いたくなるわけです。
▲其の2の毒薬「カンタレラ」に関してですが、これもアサシンクリード2でボルジア陣営が用います。
「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」公式サイト|パラマウント 海外ドラマより転載
▲ボルジア家―愛と欲望の教皇一族 ファーストシーズン
さて、実はまだアサシンクリード2しかクリアしていないのですが、Horizon zero dawnというゲームを積んだままなので、とりあえずこれでこのエツィオコレクションを切り上げたいと思います。Horizon zero dawnをプレイし終わればまたブラザーフッドやリベレーションズを再開したいと思います。
ソース
Assassin's Creed 2 - アサシン クリードII | アサシンで学ぶルネサンス | Ubisoft
http://www.aboutflorence.com/firenze-gaido/firenze-rekishi.html
2016-2017 地球の歩き方 p163-165
詳説世界史研究(山川出版社)
グローバルワイド最新世界史図表(第一学習社)