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TRYDERの一週一雑

一週間に一度の更新を目指す雑記。自分が堪能したコンテンツを記す備忘録的なアレ

【記事作成途中】歴史SLGを作り続けるParadox interactiveの歴史

どうも、TRYDERです。

 

最近はハーツオブアイアンⅣというゲームにハマっていまして、他のゲームもてんでプレイ出来ていません。このゲームをプレイしたらあっという間に就寝時間ということもザラで時間泥棒のようなゲームです。

 

どういうゲームかというと、ある国を選んで内政やら軍備やらを整えて、来る第二次世界大戦に備えて覇権を争うというゲームなんですが、事はそう単純ではなく覚えることが多くて多くて。プレイ動画観ながら猿真似をしてプレイしている状況です。

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まあ、こんな感じで良い感じに枢軸マンどもが侵略してるわけなんだぜ。自由の鐘を鳴らさなくちゃ(使命感)

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このようにお馴染みのマッカーサーやらアイゼンハワーを司令官に据えたり、共和党を勝たせるか民主党を勝たせるかもプレーヤーに委ねられており、大統領を超えた裁量権があるのが魅力の一つ。民主主義じゃないじゃんって? ゲームにマジレスカコワルイ

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戦争をするために軍備を整えて……

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調子こいてる大日本帝国にそろそろしかけるかー俺もなー

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ちょび髭にクーデター工作仕掛けるのもいいな

 

みたいなif遊びが出来るんですが、やたらめったら数字や項目も多くて生温い覚悟のプレーヤーお断りゲーなんですね。これが。かくいう私も高校時代にハーツオブアイアンⅡにチャレンジして挫折しまして、こんなクレイジーなゲームを作ったゲーム会社って一体どんな背景があるんだと思ったわけです。

そこでParadox interactiveに関して調べたのでまとめてみました。

 

不慣れな翻訳作業とプライベートの時間との都合上、翻訳が中途半端なのですがご容赦を。今回はとりあえずの記事公開で、裏で記事の続きを執筆中です。ん?更新も翻訳も遅くて不満? そういうこと言っちゃうレジスタンスには憲兵を派遣して鎮圧だオラ。

 

google翻訳をベースに明らかに誤訳と思われる箇所や訳の言い回しを修正しています。故に意訳も多分に含まれる上、訳者のスキル不足に起因する誤訳が含まれる可能性があります。もしも誤訳がありましたら指摘して頂けると幸いです。

0.読む上で

※太字の色の意味

――強調したい部分

――更に強調したい、いわば最重要な部分

――社名

――ゲームタイトル名

水色――人名

に分類しています

1.Paradox interactiveとは

Paradox interactiveは他に類を見ないほど深い歴史シミュレーションゲームの開発メーカーとして知られている。それこそ中世ヨーロッパから戦国時代、第二次世界大戦、そして銀河の覇権を争う宇宙までだ。

 

しかし、新作をリリースをする度にバグ関係で混沌をもたらすメーカーとしても有名だ。この対比は2012年の2ヶ月を例に取ると分かりやすい。

同年2月にリリースされた中世を舞台とした戦略SLG、Crusader Kings 2は同社の傑作として刻まれている。しかし、僅か1ヶ月後にリリースしたGettysburg:Armored WarfareというRTSFPSを融合したようなゲームは酷い有様であり、ほぼ一人でプログラミングされたこのゲームはプレイ不能でメタスコア22点という記録的な低評価を得た

 

同社のCEOはFredrik Wester(フレドリック・ウェスター)。歴史マニアたちの心の琴線に触れる、ニッチなゲームを作り続けるParadox interactiveの成り立ちに迫っていきたい。

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Paradox interactive社 CEO、Fredrik Wester(フレドリック・ウェスター)氏

https://infotechumea.se/nyheter/spelutvecklaren-fredrik-wester-till-young-startup-day)より画像転載

 

2.現CEO、Fredrik WesterがParadoxと出会うまで

Fredrik Wester(フレドリック・ウェスター)の最初のビジネスは、彼の母親を法廷に立たせた時、音を立てて止まった。

6歳の頃から、ゲームをしていたウェスター少年はAtariと後に発売されたZX Spectrumで成長した。彼は最高のゲームはヨーロッパの外からやってくることに気づき、15歳の頃、兄弟のDanielとともに輸入し始めた。

 

ウェスター少年はスウェーデンの新聞に広告を掲載し、販売ルートは自宅の電話であった。電話が鳴って、相手から受ける注文の半分以上が任天堂のゲームであった。

 

毎日が電話の嵐であり母親は辟易していたが、まだ高校生の子供にとって充分すぎる所得があることは認めなくてはならなかった。問題があるとすれば、彼らの取り扱っていたゲームは海賊版であったということである。

 

彼らは法的責任のある年齢ではなかったので、彼の母親に手紙が送られた。この手紙はスウェーデン任天堂の訴訟代理人からの販売差し止め命令であった。少年たちのビジネスが継続される場合、母親は訴えられるというものだ。結局、 訴訟代理人とウェスター兄弟の間で話し合いがもたれた。ウェスター兄弟は自分たちのしていることが犯罪だと知らなかったために始めたことであり、即座にビジネスをやめた。法的措置は講じられずこの一件も無事収まった。

 

そしてウェスターは1998年に大学を卒業し、経営学の学位を取得した。彼はパートナーと経営コンサルティング会社を立ち上げ、インターネットバブル後期における企業の効率化と成長の最適化を手助けした。彼の専門はオンライン顧客サービスシステムとそのプロセスに関してであった。

 

2001年9月9日以降*1、バブルは崩壊しウェスターは新たな機会を探すこととなる。

それはほろ苦いビジネスから15年以上経過した2003年。彼は再びゲーム業界へと舞い戻る。それがParadoxとの出会いであった。

 

3.Paradox interactiveが出来る日

Paradox interactiveのルーツを辿ると、初めはTarget(ターゲット)と呼ばれるテーブルゲームの販売会社から始まった。同社はスウェーデンで最も有名なボードゲームの一つであるSvea Rikeにインスパイアされ、90年代を通してビデオゲームへの進出を決断した。

 

しかし、ビデオゲームのSvea Rikeは成功を収めるも会社は傾き、2000年を迎える前には破産してしまう。まだ雛鳥のようであったビデオゲーム部門は新会社Paradox Entertainmentに売却された。

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▲Svea Rikeのゲーム画面(Svea Rike for Windows (1997) - MobyGames)より転載

Paradox EntertainmentはSvea Rikeシリーズを取得し、2000年には更に意欲的な改作も販売した。それは今日に至るまで社に莫大な影響を与え続けてきたEuropa Universalisという壮大な戦略ゲームである。

また、いくつか他の壮大な戦略ゲームの開発も始まっていた。第二次世界大戦のタイトルであるHearts of Iron産業革命期のVictoriaである。これらタイトルへの魅力が高まるとともにファンもますます増えていった。

 

しかし、同社は著しく不出来なタイトルも開発し始めた。退屈なRTSリアルタイムストラテジー)タイトルのChariots of War、うんざりするようなRPGタイトルのValhalla Chroniclesといったものだ。

あるベテラン社員は語る。

Paradox Entertainmentは、素晴らしい作品群をゴミで薄めてしまった。

1998年にTargetに入社しEuropa Universalisとその子どもたちを世に送り出してきたJohan Andersson(ヨハン・アンダーソン)氏も語った。

Paradox Entertainmentは素晴らしいゲームで稼いだ資金をブランド購入に投じるだけでした。

 

2003年、Fredrik Wester(フレドリック・ウェスター)はライセンス管理部門とビデオゲーム開発部門に分かれていた時のメディア会社、Paradox Entertainmentのビジネスプラン作成コンサルティングを請け負うこととなる。

Paradox Entertainmentの幹部はビデオゲーム部門をトリプルAスタジオに変貌させ、当時の最高のゲームタイトルに匹敵するようにしたかったウェスターがそのプロジェクトに目を向けてみると、運命づけられた最後のプロジェクトであるフリープレイの多人数参加型FPSゲームが存在していた。

 

このタイトルが完成すれば革命的なものであったのかもしれないが結局は中止され、30人以上の開発者が職を失った。

他のトリプルAタイトルに手を出すことは狂気の沙汰であるとウェスターは幹部に言及し、彼は現実的な提案を行った。それはSLGファンを中心に据えて、世界のゲーマーに創造性をもたらすような他企業をサポートするパブリッシャーへと舵を切るというものであった。

 

しかし、これは幹部が聞きたい答えではなかった。経営陣はライセンス管理部門を成長させる方により多くの価値を見出し、Robert E. Howard*2のライブラリを倍増させ、ゲーム化や映画化に適合させるためにコナン・ザ・バーバリアン(邦題:英雄コナン)の知的財産管理に専念することを決定した。

結果、経営陣はウェスターが提案した事業改善策を支持せず、ビデオゲーム部門を閉鎖し、残っていた7人のスタッフも解雇してしまう。

 

これは神のもたらした祝福であり、ウェスターにとってチャンスが巡ってきたようなものであったし、ビデオゲーム部門にとっても改めてスタートを切るチャンスであった。

Paradox Entertainmentの前CEOとビデオゲーム部門を買収し、7人のスタッフと全ゲームの権利を携えParadox Interactiveは結成される。Paradox Entertainmentがコナンを獲得している間、Paradox Interactiveは成功した偉大な戦略ゲームの権利を持って去ってしまったのである。

 

獲得した中にはJohan Andersson(ヨハン・アンダーソン)というベテランのゲーム開発者も含まれていた。

 

4.Paradox SLGの生みの親、Johan Anderssonが戦列に加わるまで

日本でもヨハン・アンダーソンは人気である。バグが多いパラドゲー(Paradoxのゲーム)で不具合が生じた際、まずいじられるのはチームリーダー兼メインプログラマーのヨハンだ。しかし、Europa UniversalisHearts of IronといったParadoxのアイデンティティー的作品を生み出しているのは紛れもなく彼である。

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▲チームリーダー兼メインプログラマーJohan Andersson(ヨハン・アンダーソン)氏

(本人のツイッターJohan Andersson (@producerjohan) | Twitter)より転載

ウェスターが就任した時、Johan Andersson(ヨハン・アンダーソン)は僅か30歳であったが、ゲームビジネスに関してはベテランだった。

 

彼は両親の反対を押し切ってストックホルム大学を中退し、90年代初頭、彼のゲーム業界におけるキャリアはスタートした。

「私の祖父は非常に疑り深い人だった」とアンダーソンは話す。アンダーソンの祖父はこう言った。「何故、中退するんだい? 私が思うに、ヨハンはそこで良い教育を受けるつもりなんだろう? ヨハンは賢い子だからね」と。

 

しかし、無論そんなことはない。アンダーソンは友達の友達がコンピューターゲーム会社を起業し、成功していることを知っていた。その友達の友達というのが、現在Battlefieldシリーズで知られているデベロッパーのDICE創業者であり、その成功は大学内の小さな友人グループに火を付けたのである。

アンダーソンの仲間が起業されて間もないFuncomで働くためにノルウェーへ移り住んだ時、彼は独学ではあったがきちんとしたプログラマーだったしこれについていった。後に30人以上の仲間もこれについてきた。彼はすぐに雇われ、SEGA GENESISメガドライブの米国での製品名)向けに16bitゲームの制作に着手した。

 

しかし、当時の彼は罠にハマっていることに気づいていなかった。

 

1995年、アンダーソンはメガドライブ向けのBeat 'em up(ベルトスクロールアクション)ゲーム、Nightmare Circus(日本未発売)制作チームの一員であった。Funcomのプロデューサーがアンダーソンをこのプロジェクトに引き入れた時、このゲームは制作が遅れていた。

 

セガはこのゲームに多額の出資を行っており、ノルウェーへ自社のエグゼクティブプロデューサーを送り、状況把握に努めていた。その訪問から2週間経過した頃、セガは激怒したとアンダーソンは言う。

彼、そして仲間のプログラマーたちはカリフォルニアへ送られ、ゲームを完成させるために隔離された。彼の小規模開発チームはアパートに押し込められ、車や免許証もない彼らはセガの為すがままであり、週6日で1日14時間働かされた。

唯一の良かったことと言えば、ノルウェーの労働法が適用されていたため、残業代を含む完全な形で給与を得ていたことであった。しかし、それでもチームには深刻な負担をかけていたことは確かであった。

 

3週間が経過し、ノルウェーへ帰国すると他のプログラマー達は軒並み会社を去っていった。彼らはそこで働くことにうんざりしていたのだ。しかし、アンダーソンはというと2年以上そこで働き続けた。この経験は彼をより優れたプログラマーへと高め、更にはプロジェクト管理に対する強い関心を持つきっかけにもなった。その頃、彼はゲームの移植作業という仕事を受け持っていたという。彼の話すところによると「プロジェクトの最中に仕事を投げ出して会社を辞めることはしなかった」という。

 

そして数年後、アンダーソンは母国のスウェーデンへ帰国し、Paradox Entertainmentのビデオゲーム部門で新たな職を得た。この時、助けになったのがこれらの前述した献身の精神である。

 

5.Johan Anderssonが紡ぎ出す叙事詩的ゲーム

Johan Andersson(ヨハン・アンダーソン)がコンソール向けのアクションタイトル(上述のNightmare Circus)を制作した後、彼は自分が楽しんで遊べるようなゲームを制作したかった。彼がParadox Entertainmentで手がけた最初のゲームは2000年に発売されたEuropa Universalisである。同名のフランス製ボードゲームに基いており、プレーヤーは様々な勢力を支配しながら、1492年から300年間の激動の時代を制していくというゲームである。

 

比較する上で最も近いタイトルはCivilizationシリーズであるが、Europa Universalisはいかなるタイトルよりも複雑で、王国勢力・政治・宗教・軍事といった側面を強調し、細密に操作できるのが特徴である。アンダーソンはこのことを「クラック・オン・リスク(裂け目への賭け)」と表現する。要は極めてニッチな市場の裂け目に成功を賭けてしまうのだ。

 

Europa Universalisは大ヒットを遂げ、このゲームの販売だけでビデオゲーム部門を破産させずに成り立たせていた。そして2003年、Fredrik Wester(フレドリック・ウェスター)アンダーソンのチーム、ゲームタイトルが再び命運を賭けたのはビデオゲーム部門をParadox interactiveへ移そうとした時である。しかし、そう簡単に行くものではない。チームはParadox interactiveの収益を維持し、成長していくために新たな別のゲームを必要とした。

 

(続き、翻訳及びまとめ途中)

※続きを書きましたら、お知らせという題で新たに記事を作成し、更新報告を行います。

 

 

ソース

Inside Paradox, the strangest company in video games • Eurogamer.net

Solving Paradox: How the historical strategy game maker stayed alive | Polygon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:2001年9月9日問題と呼ばれる秒数が10桁になることで起きるプログラム上の問題

*2:ロバート・E・ハワード(1906年-1936年)―1900年代初頭のアメリカで活躍した冒険小説作家